韓国の陶磁器の独特な分野である粉青沙器は青磁に粉を塗ったものをいう.
14C高麗後期, 高麗時代を引張ってきた仏教社会の来世を追い求める観念が, 儒学の教えにより現実に重きを置く社会に変わるようになった.
その前の青磁は貴族的で, 仏教的な影響により実生活で使用するには限界を持っていた.

社会の変化につれて, 青磁もまた実生活に必要な, 質素なものに変わり, 模様が大様になり, 表現技法も簡略化し始め, 大量生産化され始めた.
この時から象嵌青磁の形は大衆化され, 粉青磁の形に変わるようになった.


 
15Cから 16Cを経て, 白く装った面の上に鉄画, 線刻, 剥地等, 多様な技法を使用するようになり, その表現方式は諧謔さがあり, 整頓されていない素朴さがあり, その形態と模様は自由で, 小事にこたわらない奔放さ, 迫進感に溢れる表現により, 現代的でありながらも最も韓国的な美の原形をとどめた.
最も愛らしく誇らしい, 世界のどの国にも捜し出せない文化遺産としてその位置を確保した.

昔の陶器工匠たちは代を継いで生涯陶磁器を作ったが, その生活は大変貧しく, 無名のまま生涯を無念のうちに, 自然のように自然の一部となって, 慾を捨てた心で陶磁器を作ったのであり, その特質は陶磁器に滲み出ており, わざどらしさのない美しさとして表われた.


こうした姿は, 当時日本の不完全さに完全さを追求する美感を特つ支配階級の文化と出会うことで, 朝鮮の陶磁器の美しさを発見することになった.
こうした文化の中で, 日本人たちは朝鮮のいい茶器を所有することは富と名誉の象徴として, 一つの城とも取り賛えられる価値を特つほどになり, 遂には神器とまで呼ばれるようになる.

それが契機となって朝鮮の陶工が作る莫砂鉢は宝物 (大井茶碗) となり, 日本人たちが陶磁器戦争だと呼ぶ韓日戦争を引き起こす契約となったのであり, 朝鮮陶磁器に対する敬慕心を特ち, 彼らが連れて行った陶工たちは日本の陶磁器産業の中心となった.
その後, 朝鮮の粉青沙器は, 韓日戦争により, 陶工と釜の喪失社会的な変化を経て, 徐徐に白磁に移ってゆき, すたれてしまった.


 

 



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